キビコクNEWS
【経営社会学科】 ドイツ・エアランゲン在住のジャーナリスト高松平藏さんと岡山で対話しました ― 「アジアの近代・規範」と「引退・卒業」をめぐる越境対話
- 経営社会学科
吉備国際大学では、「地(知)の拠点」として地域社会と連携した実践型教育を推進しています。学生は地域の現場に赴き、行政・企業・市民との協働を通して、課題発見力・構想力・協働的実践力を培っています。こうした活動は、教室での理論学習と地域現場での実践を往還する「越境学習」として位置づけられ、キャリア形成や社会人基礎力の育成に直結しています。
2026年6月27日(土)、ドイツ・エアランゲン在住のジャーナリスト高松平藏さんが岡山を訪れ、経営社会学科の大西正泰 准教授と対話の機会を持ちました。高松さんは長年ドイツに拠点を置き、ヨーロッパのまちづくりやスポーツ文化、地域社会のあり方を取材・発信してきたジャーナリストです。大西准教授は過去にエアランゲンの高松さんのご自宅を訪ね、ヨーロッパのまちづくりを支える「OS(オペレーティング・システム=社会の基本設計)」について語り合うなど、長年にわたり交流を重ねてきました。
今回の対話は、大きく2つのテーマを行き来しました。一つは「アジアにとっての近代・規範とは何か」、もう一つは「スポーツにおける『引退』『卒業』をめぐる日欧の違い」です。
|テーマ①|「日本とヨーロッパ」だけでは見えない、「他のアジア」との関係
大西准教授は普段からアジア各国の留学生と日常的に接しており、その視点には日本を相対的に捉えるまなざしがあります。二人の対話は、近代化のモデルをめぐる本質的な問いへと広がっていきました。
|高松さんの論考より(テーマ①)
対話を受けて、高松さんはご自身のメディア「インターローカル・ジャーナル」で次のように綴っています(要旨)。
「アジアにとっての近代や規範とは何か」
大西さんは普段からアジア各国の留学生と接しており、その視点には日本を相対的に見る感覚がある。ドイツから見た日本は、西欧の価値をいち早く取り入れた「先行的な新興国」という一面を持つが、その過程には誤読や誤訳、ズレも少なくない。 印象的だったのは「日本とヨーロッパ」という関係だけでは見えない「他のアジア」との関係だ。前日にはネパール出身の大学教員と話す機会もあり、日本社会について「規範がしっかりしていて学ぶべき点が多い」と強調していた。この言葉は、日本がアジアの中で一つの参照点になっていることを示している。 ヨーロッパの価値観は決して唯一のものではない。ただ、それでもなお「標準」として広く流通しているのも事実だ。「他のアジア」は日本をどう見ているのか。近代化のモデルとしてなのか、それとも数ある選択肢の一つとしてなのか。
|テーマ②|「引退」「卒業」は、近代教育制度が作った人生儀礼か
対話のもう一つの核心は、スポーツにおける「引退」「卒業」という言葉をめぐる、日本とヨーロッパの文化的差異でした。対話は、近代教育制度そのものへの問いへと深まっていきました。
【日本とヨーロッパのスポーツ文化比較】
|
比較項目 |
日本(学校体育・部活動) |
ヨーロッパ(地域クラブ) |
|
スポーツの拠点 |
学校(部活動) |
地域クラブ |
|
学校卒業と競技の関係 |
ほぼ連動(引退=学校を終える) |
切り離されている(続けることが前提) |
|
「引退」の意味 |
部活共同体からの離脱=人生儀礼 |
トップ選手が競技を終えるときに使う語 |
|
競技終了後 |
再開が難しい文化的文脈がある |
「クラブを移る」「少し休む」が自然 |
|
80歳での現役 |
イレギュラー・稀 |
普通にあり得る |
日本では「入学→部活開始→大会→引退→卒業」という流れが一つの人生儀礼(rite of passage)として完成しています。「引退」という言葉の実態は、競技を辞めることではなく、部活という共同体から離脱することを意味しています。
一方、ドイツをはじめとするヨーロッパでは、スポーツの中心は学校ではなく地域クラブです。学校の卒業と競技生活は制度的に切り離されており、「高校を出れば地域クラブへ行くだけ」という連続性があります。80歳で現役選手であることも珍しくなく、スポーツは趣味・競争・健康・自己実現として生涯続くものとして捉えられています。日本におけるスポーツの「引退」「卒業」は、競技そのものの終了を意味するのではなく、近代学校教育制度に組み込まれた部活動共同体からの離脱を示す人生儀礼(通過儀礼)なのかもしれません
さらに、この現象はジェネップの「通過儀礼(Rites of Passage)」の理論からも分析できます。日本の部活動における「引退」は、後輩への継承・最後の大会・涙のミーティングといった儀礼を伴い、教育共同体から一人前の成員として送り出されるイベントとしての意味を帯びています。
この問いは、スポーツ文化の比較にとどまらず、日本人のキャリア観や「人生の節目の作られ方」を考える上でも非常に豊かな研究テーマになり得るものです。スポーツを「文化の物差し」として考えている高松さんとの対話によって、楽しい「問い」を得られることができました。
|越境がひらく、まちづくりと教育の新しい視点
「アジアの近代・規範」というマクロな問いと、「引退・卒業という人生儀礼」というミクロな問い——一見異なるように見えるこの二つのテーマは、じつは「近代教育制度が人生をどう区切り、社会をどう設計してきたか」という一本の軸でつながっています。
国境や分野を越えた対話から生まれるこうした問いは、大西准教授の研究テーマ「越境学習」「関係人口論」「社会資本」とも深く共鳴します。
ヨーロッパから日本を見続けてきた高松さんと、アジア各国の留学生と日々向き合いながら、日本を外から見るまなざしを磨いてきた大西准教授との対話は、これからの地域づくりや教育を考える上で、多くの示唆を与えてくれました。




